この記事では、兵庫県知事・斎藤元彦さんの学歴や経歴・生い立ちについて詳しく紹介しています。
1977年に兵庫県で生まれた斎藤元彦さんは、中学から高校まで愛媛県で寮生活をし、大学は一浪の末に東京大学へ合格しています。
斎藤元彦さんの小学校、中学校、高校、大学時代のエピソードや、どのような学校に通っていたのか、どんな子どもだったのか詳しく紹介していきます。
目次
斎藤元彦の学歴や経歴一覧表
斎藤元彦のプロフィールと幼少期:名前の由来は元兵庫県知事!
- 名前(本名):斎藤 元彦
- 生年月日:1977年11月15日
- 身長:?
- 体重:?
- 血液型:A型
- 出身地:兵庫県神戸市須磨区
斎藤元彦の幼少期:名前の由来は元兵庫県知事で祖父は経営者!
斎藤元彦さんは1977年11月15日に兵庫県神戸市須磨区で生まれました。
元彦の名前の由来は元兵庫県知事で斎藤元彦さんの親族の仲人を務めたこともある金井元彦にあやかったとのことで、会社経営をしていた祖父が命名しました。
名前の「元彦」は、金井元彦・元兵庫県知事からとって名付けられた。
【引用元:朝日新聞デジタル】
なお祖父は、地元・長田区と須磨区で事業を行なうケミカルシューズの製造会社の社長で、ゴルフ場の経営も行っていた、地元の有力者でした。
「元彦くんのおじいさんは、ケミカルシューズの工業組合の理事長も務めていて、地域では相当の有名人でした。政党は自民党で、須磨区出身の石井一さん(享年87)の有力な支持者だったんです。おじいさんはゴルフ場も経営してて、それも大当たりした」
【引用元:NEWSポストセブン】
斎藤元彦の小学校の学歴や経歴:神戸市立若宮小学校
- 出身小学校:神戸市立若宮小学校
- 所在地:神戸市須磨区若宮町2丁目1-21
- 共学・別学:公立共学
- 主な卒業生:堀 柊那(ほりしゅうな・プロ野球選手)
斎藤元彦の小学校時代は学業優秀で実家は大豪邸!
斎藤元彦さんは神戸市立若宮小学校に1984年4月に入学し、1990年に卒業しています。
神戸市立若宮小学校時代は、友達も多く、学業も優秀で、小学校5年生頃からは中学受験のため、塾に通っていました。
なお実家は120坪もある豪邸で、祖父を中心に、いとこ一家とも同居していたとのことです。
また周囲からは「もっちゃん」というあだ名で呼ばれており、親族の中でも1番のイケメンで、祖父からは特に可愛がられて育ったようです。
兵庫県神戸市須磨区で生まれた斎藤氏。祖父は、地元・長田区と須磨区で事業を行なうケミカルシューズの製造会社の社長だった。斎藤氏を幼少期から知る地元の知り合いが語る。「実家は約120坪もある大きな家で、おじいさんを中心にいとこの世帯も一緒に住んでいました。元彦くんは親しい間柄の人には『もっちゃん』と呼ばれていましたが、親族の中でも一番のイケメンだと言われて、特におじいさんから相当可愛がられてましたね。勉強も同級生と比べて頭ひとつ抜けていました」
【引用元:NEWSポストセブン】
斎藤元彦の中学校の学歴や経歴:愛光中学校で寮生活に!
- 出身中学校:愛光中学校
- 偏差値:64-66 【引用元:みんなの中学情報】
- 所在地:愛媛県松山市衣山5-1610-1
- 共学・別学:私立共学(斎藤 元彦在学時は男子校)
斎藤元彦の中学時代は愛光へ進学し愛媛県で6年間寮生活!
斎藤元彦さんは神戸市立若宮小学校卒業後、愛媛県にある私立の愛光中学(偏差値66)へ1990年に入学します。
不自由ない幼少期を過ごした斎藤氏は中学受験をし、愛媛県の中高一貫校に合格。
【引用元:NEWSポストセブン】
元々は中学受験で地元神戸にある六甲学院中学校を目指して受験勉強に励んでいましたが、残念ながら不合格になり、愛光中学へ進学しました。
愛光中学は愛媛県にあったため6年間の寮生活を送り、中学校ではソフトボール部に所属しており、有意義な中学生活を送ったようです。
斎藤元彦の高校時代の学歴や経歴:愛光高校では寮長で800人の代表に
- 出身高校:愛光高校
- 偏差値:74 【引用元:みんなの高校情報】
- 所在地: 愛媛県松山市衣山5-1610-1
- 共学・別学:私立共学(斎藤元彦在学時は男子校)
- 主な卒業生:竹内 康祐 (元アナウンサー)、小野 晋也(元衆議院議員)、樋口 建史(元警視総監)
愛光高校進学・合格実績
愛光高校の合格実績は国公立では現役既卒合わせて東京大学12名(医学部3名)、京都大学5名、大阪大学7名(医学部3名)など162名合格しています。
私立大学では慶応義塾大学12名(医学部1名)、早稲田大学18名、上智大学16名などの合格実績があります。
斎藤元彦の高校時代は寮長を務め800人を束ねる!ふんどしで踊ることも
斎藤元彦さんは中高一貫のため愛光中学から愛光高校へ1993年に進学します。
体育祭では愛光中学校・高等学校の恒例行事であるふんどし姿で踊ったり、高校2年時には、寮長を務め、寮生計800人ほどの代表を務めていたとのことです。
当時の同級生によれば、斎藤元彦さんは真面目でリーダーシップがあるとのことで、寮生活で一緒に過ごした同級生とは、神戸で今でも年に数回、集まっているとのことです。
そして斎藤元彦さんの寮生活は本人曰く楽しい6年間だったそうです。
「大変だったね」と、よく言われますが、実は本当に楽しい6年間でした。建学の精神、特色ある校風の中、寮生活を共にした同級生は「生涯の友」となり、今でも年に数回、神戸で集まっています。
【引用元:斎藤元彦HP】
斎藤元彦の大学時代の学歴や経歴:東京大学へ一浪の末入学!
- 出身大学:東京大学文科二類(経済学部)
- 偏差値:67.5-72.5【引用元:みんなの大学情報】
- 所在地:東京都文京区本郷7-3-1
- 共学・別学:国立共学
- 主な卒業生:すぎやま こういち(作曲家)、夏目 漱石(小説家)、菊川 怜(タレント)
斎藤元彦の大学時代は「フェンディ」と呼ばれてた?
斎藤元彦さんは愛光高校を卒業し、現役時代は、どこの大学を受けたかは不明ですが、落ちてしまいます。
ただ1年間の浪人生活を経て、1997年に日本の最高学府である東京大学文科二類(経済学部)へ入学します。
三宮の予備校で1年間、浪人生活を過ごした後、東京大学経済学部に入学。
【引用元:斎藤元彦HP】
東京大学時代は「イケメン東大生」としてテレビ番組に取り上げられたこともあり、地元ではそれで盛り上がったりもしたそうです。
また地元で飲み会があった際に、まだ未成年の女性が飲酒しようとすると、「あかんで」と優しくお酒を飲むのを制したことがあったとのことで、周囲からは優しく真面目な好青年というイメージだったそうです。
「当時のバラエティ番組で、元彦くんは『イケメン東大生』として取り上げられたことがあるんです。元彦くんからも『テレビに出ました』と連絡があって、地元では盛り上がったんですよ。元彦くんが大学生くらいの時だったと思いますが、地元で20人くらいの集まりがあった時、当時まだ成人してなかった元彦くんの友人の女の子が、周りにまじってお酒を飲もうとしたんです。その時、元彦くんは『あかんで』と言って、優しくお酒を取り上げていたのを覚えています。自分が知る限り、元彦くんは優しくて真面目な好青年というイメージで、パワハラなんて想像もできなかった」
【引用元:NEWSポストセブン】
さらに斎藤元彦さんの東京大学時代は一年中高級ブランドフェンディのマフラーを巻いており、一部からは「フェンディ」と呼ばれていたそうです。
大学時代の同級生は 「その当時の、ひと昔前のチャラいホスト」という印象だったそうで、暑い時期は、フェンディのストールを巻いていたようです。
「友人に指摘されて、『彼だよ、フェンディだよ』と知らされやっと思い出した」と友人からの指摘で斎藤知事を思い出したといい、大学時代の斎藤知事については「その当時の、ひと昔前のチャラいホスト」という印象だったという。特に「私が印象に残ったのは、フェンディのマフラー。暑い時期で言えばストールかもしれないが、しょっちゅう巻いていたのが記憶に残っている」といい、一年中、高級ブランドのマフラーを巻いていたという。そのため大島氏らは斎藤知事のことを「フェンディと呼んでおりました」と振り返り「だからその本名が斎藤元彦と知らなくて、同一人物とは思いも寄らなかった」とも語っていた。
【引用元:デイリー】
斎藤元彦の大学時代に留年!退学のピンチもあった?
そんな大学生活を楽しんでいた斎藤元彦さんですが、授業にはあまり出席しておらず、留年してしまいます。
留年したことにより、「このままでは駄目だ」と思った矢先に、親の家計が悪化して、一時は退学も考えたそうです。
ただ奨学金に救われて、斎藤元彦さんは東京大学を無事卒業しました。
これを機にセーフティーネットの大切さに気付き、行政・政治の世界に進むことを考え始めたそうです。
初めての東京でのひとり暮らしは、気ままに暮らし、あまり授業に出席しない日々でした。そして、案の定、駒場留年。「このままでは駄目だ」そう思った矢先、平成不況で、親の家計が急変しました。一時は在学継続をあきらめかけたのですが、育英会の奨学金に救われました。ここで初めて、セーフティーネットの重要性に気づき、行政、そして政治の道に進むことを考えはじめました。
【引用元:斎藤元彦HP】
斎藤元彦の大学卒業後の経歴:総務省へ入省!そして県知事へ!
斎藤元彦は国家公務員試験に合格し総務省へ就職!
斎藤元彦さんは上述のように行政に興味をもったことから、国家公務員を目指すことになり、見事国家公務員試験に合格しました。
そして官庁訪問している際に、「地方自治を司る総務省もおもしろそうだ」と思い、祖父に相談すると、「名前の『元彦』は、元兵庫県知事の『金井元彦』さんから命名した」と始めて教えられたとのことです。
そして、面接が進み、官庁訪問へ。いろいろ見る中で「地方自治を司る総務省もおもしろそうだ」と思い、相談してみました。すると、祖父はこう言うのです。「名前の『元彦』は、元兵庫県知事の『金井元彦』さんから命名した」と。
【引用元:斎藤元彦HP】
そのような縁から総務省へ入省し、いつか兵庫県のために尽くすことが、入省時に抱いた目標と夢だったようです。
初めて知った名前の由来とこれまでの人生経験が重なり、私は総務省を選ぶことを決めました。地方自治の道を志し、いずれ、兵庫のために尽くすことが、入省時に抱いた目標と夢でした。
【引用元:斎藤元彦HP】
総務省入省後は、宮城県庁、佐渡市役所、福島県飯舘村、大阪府庁などへ出向し、様々な経験を積み、都道府県税課理事官にまでなります。
私は入省後、総務省等での仕事をこなしつつ、三重県庁を駆け出しに、新潟県佐渡市役所、福島県飯舘村、宮城県庁、そして大阪府庁と様々な自治体で経験を積んできました。
【引用元:斎藤元彦HP】
ただ、その後斎藤元彦さんは総務省でのキャリアを捨て退職し、兵庫県知事になることを目指します。
斎藤元彦は兵庫県知事へ!自身の名前の由来が兵庫知事だったのが出馬理由
斎藤元彦さんは自民党と日本維新の会の推薦を受け兵庫県知事選へ出馬し当選、2021年8月に兵庫県知事になりました。
なぜ知事になりたかったか理由を問われると、「祖父がお世話になった兵庫県知事の名前が金井元彦だった。そこから名前をもらったので、知事を目指した」とのことです。
「どうして出るんですか?」と質問したところ、「私の名前が元彦だから」と予想もしない答えが返ってきた。「祖父がお世話になった兵庫県知事の名前が金井元彦だった。そこから名前をもらったので、知事を目指した」という内容で、出演していたタレントのほんこんも「なんやそれ」と思わず吐き捨てるようにつぶやいた。
【引用元:サンスポ】
その後知事の任期中に、様々な疑惑が噴出し失職するも、2024年11月の選挙で知事に見事返り咲きました。
斎藤元彦の学歴と経歴まとめ!
47歳になりました。
頑張ります! pic.twitter.com/29RVRyKhDm— 兵庫県知事 さいとう元彦 (@motohikosaitoH) November 15, 2024
時期・年代 | 学歴・経歴の内容 |
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1977年11月15日 | 兵庫県神戸市須磨区に生まれる。 |
1984年4月 | 神戸市立若宮小学校に入学。 |
1990年3月 | 神戸市立若宮小学校を卒業。 |
1990年4月 | 愛媛県松山市にある私立愛光中学校に入学。寮生活を開始。ソフトボール部に所属。 |
1993年4月 | 愛光中学校から愛光高校へ進学。高校では寮長を務める。体育祭ではふんどし姿で踊る恒例行事にも参加。 |
1996年3月 | 愛光高校を卒業。 |
1996年4月 | 一浪の末、東京大学経済学部に入学。大学時代に「イケメン東大生」としてメディアに取り上げられる。奨学金の支援を受けて卒業を目指す。 |
1997年~2000年頃 | 東大時代は一年中フェンディのマフラーを巻き「フェンディ」というあだ名がつく。授業欠席が多く留年。退学を考えるも奨学金に救われる。 |
2001年3月 | 東京大学経済学部を卒業。 |
2001年4月 | 国家公務員試験に合格し、総務省に入省。地方自治に興味を持ち、祖父から名前の由来を聞いて、兵庫県知事を将来目指す目標を抱く。 |
2001年~2010年代 | 総務省での業務をこなしながら、宮城県庁、新潟県佐渡市役所、福島県飯舘村、大阪府庁など全国の自治体で出向し経験を積む。 |
2021年7月4日 | 自民党と日本維新の会の推薦を受け、兵庫県知事選に初出馬し当選。 |
2021年8月1日 | 兵庫県知事に就任。 |
2024年11月 | 知事任期中に一度失職するも、再選挙で返り咲き兵庫県知事に復帰。 |