この記事では、元アイドルで現在は女優にタレントして大活躍の松村沙友理さんの学歴や経歴について詳しく紹介しています。
1992年に大阪で生まれた松村沙友理さんは、成績優秀で、高校は野球の強豪校としても有名な大阪桐蔭高校に進学し、大学は国立大学に合格したという噂があります。
小学校、中学校、高校時代のエピソードや、どのような学校に通っていたのか、どんな活動をしていたのかに加え、松村沙友理さんの大学受験のまつわる噂も詳しく紹介していきます。
目次
松村沙友理のプロフィールと幼少期:病弱で恥ずかしがり屋!
- 名前(本名):松村沙友里
- 生年月日:1992年8月27日
- 身長:164㎝
- 体重:非公開
- 血液型:B型
- 出身地:大阪府大阪市
幼少期は病弱ですぐに病気に罹っていた!
松村沙友里さんは1992年8月27日に大阪府大阪市で生まれで、現在は32歳(2024年10月現在)です。
幼い頃の松村沙友里さんは病弱で、病気が治るとまた別の病気にかかることが多く、また幼い頃から恥ずかしがり屋で人前に出るのが苦手だったそうです。
松村沙友理の小学校の学歴や経歴:大阪市立聖賢小学校
- 出身小学校:大阪市立聖賢(せいけん)小学校
- 所在地:大阪府大阪市城東区新喜多2丁目4-35
- 共学・別学:公立共学
- 主な卒業生:宇都宮まき(吉本新喜劇)
小学生の頃から漫画好きで子どもの頃のあだ名は「じゃがいも」?
松村沙友里さんは1999年に大阪市立聖賢小学校に入学しました。
松村沙友里さんは英会話や習字、ピアノなど様々な習い事をしており、特に水泳は2歳から小学校6年生まで約10年間続けており、バタフライまで泳げました。
しかし、習字を習っていましたが、字を書くのは得意ではなく、ずっとコンプレックスを感じていたとのことです。
松村は「昔、小学生のときに習字をやっていたけど、そのわりに字がうまくなくてずっとコンプレックスだった」と告白。
【引用元:ENCOUNT】
また、子どもの頃から松村沙友里さんは大の漫画好きで、今でも本棚の8割が漫画で埋まっており、漫画にホコリがかぶるのが嫌なので、扉付きの本棚が絶対条件だそうです。
引っ越しで一番考えたのは、 本棚と言い 「(2つあるうちの)メインの本棚はお部屋の広さにぴったり合うように自分で採寸し、 棚専用の通販で4つ買って、 それを組み合わせてひとつの本棚っぽく見せています。 大切なマンガたちにホコリがかぶるのが嫌なので、扉付きの本棚であることが絶対条件!」 そんなこだわりの本棚は、 天井近くまで届くビッグサイズ。 中身は、ジャンル別にきれいに整理されていて何と8割がマンガ! で、2割が小説、雑誌、写真集。
【引用元:1UP情報局】
それから、松村沙友里さんは子供の頃から食べることが大好きで、現在でもご飯を大盛9杯も食べることがあるほどの大食いだそうです。
なお、子供の頃は「じゃがいも」と呼ばれていました。
小さい頃はじゃがいもって呼ばれてたのに今はりんごって呼ばれてる…やっぱりあたしは食べ物の人生なんやね( ̄▽ ̄)b
【引用元:乃木坂46公式ブログ】
小学生時代は通帳の額が増えるのが好きだった!
松村沙友里さんが小学校低学年の頃、親が銀行口座を作ってくれ、2000年頃からお年玉を貯金し始め、親がお年玉を貯めてくれていることが嬉しかったと語っています。
2000年頃にお年玉貯金を始めたという松村は「経験がある方も多いのかなと思うんですけど、お年玉貯金のために親が口座を作ってくれて、そこに自然とお年玉でもらったお金を貯めていってくれたのが、子どもながらに嬉しかった記憶があります」と回顧
【引用元:モデルプレス】
また、松村沙友里さんは欲しい物も特になく、子供の頃からお金をあまり使わないタイプで、通帳の額が増えるのを見ることが好きでした。
あまりお金を使う子どもではなかったそうで「あれがほしいというのがあまりないタイプだったんですけど、通帳の額を見るのは子どもの頃から好きだったなって思いますね。増えるの好きでした。えへへ(笑)」と笑顔を見せた。
【引用元:モデルプレス】
それから、松村沙友里さんは決まったお小遣いは貰っておらず、お年玉貯金から使ったり、もし欲しい物があれば買ってもらうことが多かったそうです。
お小遣いはもらっていたか尋ねられると「もらってなかったんです。お年玉貯金から使ったり、何かほしいものがあったら買ってもらうことが多かったので、あまり決まった額をもらうということはしてなかったですね」と答え、「子どものときからそんなに大きな買い物をするタイプではなかったので、堅実にコツコツと生きていたタイプかなと思います」と語った。
【引用元:モデルプレス】
なお、松村沙友里さんは小学3年生の時、琵琶湖の近くにあるわんわん王国で触れ合った犬が可愛かったことから犬好きになり、現在も家で犬を飼っています。
今もわんわん王国で犬と出会った時のトキメキが忘れられないとのことです。
松村さんが人生ではじめてトキめいたものは? 小学3年生のとき、琵琶湖のほうにあったわんわん王国で散歩させてもらった犬がめっちゃかわいくて♡ あのときのトキメキは忘れられないし、いまも犬が大好きで家で飼っているほど。犬がいないと生きていけないくらいに好き!
【引用元:ニコ☆プチ】
松村沙友理の中学校の学歴や経歴:大阪市立蒲生中学校
- 出身中学校:大阪市立蒲生(がもう)中学校
- 所在地:大阪府大阪市城東区中央3丁目9-24
- 共学・別学:公立共学校
- 主な卒業生:宇都宮まき(吉本新喜劇)、杉枝真結(元E-girls)
中学校ではバレー部のキャプテンで水泳大会で1位!
松村沙友里さんは2005年に大阪市立蒲生中学校に入学しました。
松村沙友理(まつむら さゆり)乃木坂46メンバー pic.twitter.com/C5CVl9xxHW
— 芸能人の幼少期 画像! (@gei_kodomo) October 8, 2014
中学校ではバレーボール部に所属しており、キャプテンも務めていたそうです。
バレーについて…さゆりんはセンターやってました!!中学のときはキャプテンでした!いえぃ(^-^)v
【引用元:乃木坂46公式ブログ】
さらに、学校の水泳大会でも活躍し、1位をとったことがありますが、下述しますが、本人曰く運動神経は良くなかったとのことです。
中学時代はネクラのアニメオタク?
松村沙友里さんは中学校時代の自分自身について暗くて、友達もあまりいなかったと話しています。
松村は「私も学生時代は暗くて、あまり友達がいなかった」と自身の経験を吐露。
【引用元:デイリ】
さらに、松村沙友里さんは小・中学生時代を通じて「ネクラでアニメオタクだった」と語っています。
そんな松村沙友里さんは、中学時代、学校で人気だった放送部に入りたく、係を決める際、松村沙友里さんは第一希望を放送部と書いたものの、第三希望の美化活動部に配属され、学校の溝のヘドロを一人で掃除していたそうです。
小・中学校時代は「ネクラでアニメオタクだった」という松村。学校の花形の係は放送部だったことから、「私も花形に入りたくて第一希望として放送部と書いた」と回顧。だが結局「第三希望に書いた美化活動部に選ばれた」のだとか。いわば学校を掃除する部だが、松村は「学校の溝ってめっちゃヘドロが溜まっていて、それをバケツを持って1人で掃除しに行った」と回顧。
【引用元:RBBTODAY】
松村沙友里さんは美化活動部について、「ヘドロを取ると水が流れるようになり、他人と干渉せずに作業できるのが楽しかった」「誰とも話さずヘドロと会話していた」とインタビューで振り返っています。
さらに「1人でヘドロを削ぐのが楽しくて楽しくて。ヘドロを取ると水が流れ出したり、人と干渉しなくていい。誰とも喋らんとヘドロと会話していた」と振り返っていた。
【引用元:RBBTODAY】
中学3年間推しキャラを真似て友達と敬語で会話!
松村沙友里さんは中学時代、教室でいつも本を読んでいるタイプだったそうで、友達が3人しかいなかったとのことです。
「中学のときは教室でいつも、何かの本を読んでるタイプでした。男子も私がいることさえ気づかなかったのでは…」と誇張して生島の笑いを誘った。
【引用元:サンスポ】
しかし、卒業式の時には今まで話したことのない子から写真に誘われるなどして、卒業式は不思議な空間だったと振り返っています。
――松村さんはご自身の卒業式の思い出はあります?
松村:私、中学校時代、めっちゃ暗くて、友だちが3人くらいしかいなかったんです。でも卒業式のときばかりは、今までしゃべったことのない子とかにも、すごい写真に誘われたりとか、今思うと卒業式は不思議な空間だったんだなと。その日だけめっちゃ仲がいい、みたいな(笑)。
【引用元:exciteニュース】
そんな松村沙友里さんですが、中学校時代に親友ができましたが、「フルーツバスケット」というアニメがきっかけでした。
このアニメのキャラである本田透が松村沙友里さんの推しであり、本田透は敬語で話すキャラだったため、松村沙友里さんも透になりたいという思いから3年間ずっと敬語で友達と話していたそうです。
さらに中学生の頃はアニメが大好きで、推しのキャラクターをまねていたそうで、「中学時代、3年間ずっと敬語で友達と会話しておりました。『フルーツバスケット』っていう作品の本田透ちゃんっていう子がずっと敬語だったので、私も透になりたいってことでずっと敬語でした」と告白。当時の周りの反応を聞かれると、「最初の方はすごい言われたんですけど、徐々にみんななじんでいった」と振り返っていた。
【引用元:サンスポ】
松村沙友理の高校時代の学歴や経歴:大阪桐蔭では岡副麻希と同級生
- 出身高校:大阪桐蔭高等学校2類
- 偏差値:65【引用元:みんなの高校情報】
- 所在地:大阪府大東市中垣内3丁目1-1
- 共学・別学:私立共学校
- 主な卒業生:中田翔、森友哉(以上プロ野球選手)、岡副麻希など
大阪桐蔭高校進学実績
大阪桐蔭高校の大学への進学実績(2024年度)の一部ですが、京都大学に現役で26名進学しているのを始め、大阪大学、神戸大学などの難関国立大学への進学実績も20名を超えています。
また国公立大学への進学者数は213名もいます。
その他慶應大学や早稲田大学など有名私大や、神戸大学医学部をはじめとした国公立大学医学部への進学実績もあります。
高校時代に365日学校に通っていた!
松村沙友里さんは2008年に大阪桐蔭高校の2類に入学しました。
松村沙友里さんは中高一貫校である大阪桐蔭高校に中学からの内部進学ではなく、一般受験で高校から入学しましたが、松村沙友里さんは高校受験の勉強をあまりせずに合格したそうです。
ちなみに高校時代の松村沙友里さんは真面目で、365日通学するほど勉強に熱心に取り組んでいました。
そのため、一度もカラオケに行ったことがないなどストイックな高校生活だったそうですが、漫画は高校生になっても好きで、当時は「銀魂」や「BLEACH」といった少年漫画に夢中になっていました。
高校生のときは、少年マンガが好きで『銀魂』『BLEACH』にハマっていました。もちろん今でも少年マンガは大好きで、今持っているマンガも意外と少女マンガより、少年もののほうが多いかも」と意外なマンガ通の側面を見せた。
【引用元:1UP情報局】
甲子園応援中もアルプススタンドで勉強していた?
松村沙友里さんは勉強漬けの高校生活を送っており、土日も学校に行っていました。
また高校の夏休みは2週間しかないのにも関わらず大量の宿題が出されていたそうです。
学生生活はずっと勉強漬けで、土日も学校に行ってたので」と、共感した松村。続けて、「私、大阪桐蔭っていう甲子園によく出場する学校だったんで、結構みんなから“応援のアルプス席いいな”って言われるんですけど、本当に進学校で、夏休み2週間しかないのに、宿題が大量に出るんですよ」と、勉強漬けの高校時代を回顧。
【引用元:entax】
それでも、大阪桐蔭高校は高校野球の甲子園の常連校であるため、甲子園のアルプススタンドでも勉強をしていたことを告白しています。
甲子園の応援は出席しないと欠席扱いになるため、みんな甲子園で応援しているフリをして、ドリルや単語帳を見ていたそうです。
驚きの声が上がる中、「みんな、その甲子園の時期は実はもう宿題に追われてて、応援どころではなくて、でも出席しないと欠席扱いになる」と思い起こし、「大変だから、みんな華やかに“ワ〜”って応援してるフリをして、実はずーっとドリルとか単語帳を見て、甲子園でもずっと勉強してました」と、甲子園応援中のアルプススタンドでも勉強していたことを告白した松村。
【引用元:entax】
ちなみに松村沙友里さんの高校時代の部活動は、中学に引き続き、バレーボール部で、ポジションはセンターでした。
バレーについて…さゆりんはセンターやってました!!
【引用元:乃木坂46公式ブログ】
ただし、松村沙友里さん本人はスポーツや運動が苦手で、唯一人並みにできるのがバレーボールと話しています。
好きなスポーツは!?運動全然できやんけど唯一人並みにできるんはバレーボールです!(b^ー°)中・高とバレーボール部でした(^O^)
【引用元:乃木坂46公式ブログ】
そのため、高校時代の体育の授業は苦手だったと語っています。
松村沙友里は高校時代に岡副麻希と同級生だった!
松村沙友里さんの高校の同級生にはタレントでキャスターの岡副麻希さんがいましたが、岡副麻希さんは最上位クラス(1類・偏差値69)にいました。
当時の岡副麻希さんについて、松村沙友里さんは「高校三大美女として凄く有名だった」と話しており、知り合いだったとのことです。
岡副と松村は高校の同級生で、かつて松村が岡副のことを「“高校三大美女”として凄く有名な存在」と語るなど、知り合いだったという。
【引用元:livedoor News】
また、岡副麻希さんは松村沙友里さについて、「癒し系でときどき面白いことをズバッというふわふわタイプ」と語っており、2人は共通の友達を通じて仲良くなりました。
岡副によると「仲の良かった共通の友達がいて、仲良くなって」と、交流があったそうで、「癒やし系。ときどき面白いことをズバッというタイプ。ふわふわしてた」と松村について語った。
【引用元:livedoor News】
ちなみに、松村沙友里さんは高校時代には芸能界への興味があり、高校3年生だった2010年に地元大阪が拠点のNMB48の第1期生メンバーオーディションを受けましたが、不合格でした。
松村沙友理の大学時代の学歴や経歴:筑波大学に合格も辞退?
筑波大に合格?も看護師を目指して浪人生活を送っていた!
松村沙友里さんは高校時代看護師を目指し、第一志望の大阪大学医学部保健学科看護学専攻(偏差値58)を受験しましたが、不合格でした。
次に、国公立大学の後期試験で筑波大学医学群看護学科(偏差値58)も受験しようとしていましたが、受験日の前日に東日本大震災が発生し、筑波大学の受験は実施されませんでした。
そのため、センター試験の結果を基に合否が決定されましたが、松村沙友里さんの合否はわかっていません。
ただ筑波大学に合格していたという噂があります。
高校卒業後、松村沙友里さんは浪人し、予備校に通い始めました。
浪人中に乃木坂46になる!
浪人中、模試の成績が悪かったことから、他のことにも挑戦しようと考えた松村沙友里さんは19歳だった2011年に乃木坂46第1期生のオーディションを受けました。
そのオーディションで、松村沙友里さんは、「英語をしゃべれます」と嘘をつきました。
さらに最終審査では「韓国語がしゃべれます」と言うために前夜に勉強したものの披露はできず、結局「趣味は散歩です」と答えましたが、それも実際には嘘で、当時は引きこもっていたそうです。
松村は、『「英語がしゃべれます」と嘘をつきました』と発言。さらに、最終審査では『韓国語がしゃべれます』とアピールするため、前夜に勉強したものの披露できず、結局は『散歩が趣味です』と答えたものの、実は『引きこもり』とのことで、これまた嘘の上塗りだったとのこと。
【引用元:おたぽる】
ちなみに、ダンスを非常に苦手としていたため、「絶対に受からない」と思っていた松村沙友里さんでしたが、見事合格しました。
乃木坂46合格後は大学進学を断念し、芸能活動にシフトしました。
乃木坂46時代~現在:モデルやタレントとして人気!
乃木坂46加入当初、毎週土日にあったレッスンのために金曜日の夜に大阪から東京に通う生活が始まり、夜行バスに乗って通っていました。
乃木坂46のメンバーとなるが「乃木坂46に合格したあとは、土日にレッスンがあったので、金曜の夜に夜行バスで大阪から東京に通っていました。
【引用元:ORICON NEWS】
その努力の甲斐あって、松村沙友里さんは2012年の乃木坂46デビューシングル「ぐるぐるカーテン」でいきなり選抜メンバーに抜擢されました。
その際は橋本奈々未さんや白石麻衣さんらと共に「七福神」として2列目の立ち位置を務め、以降も選抜はもちろん七福神の常連メンバーとして大活躍しました。
また、2013年には「BAD BOYS J」に出演し、女優デビューを果たしました。
2015年にはファッション雑誌「CanCam」の専属モデルに起用され、活躍の場を広げていきました。
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そして、29歳の2021年に乃木坂46から卒業しました。
松村沙友里さんは卒業後もトーク力などが認められ、タレントや女優として活躍し続けています。
松村沙友理の学歴と経歴まとめ!
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学歴 | 詳細 |
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小学校 | 大阪市立聖賢小学校(1999年入学) |
習い事 | 水泳、英会話、習字、ピアノなど |
中学校 | 大阪市立蒲生中学校(2005年入学) |
部活動 | バレーボール部キャプテン、水泳大会1位、係は美化活動部(溝掃除) |
高校 | 大阪桐蔭高校(2008年入学) |
コース | 2類(難関国公立大学を目指すコース) |
部活動 | バレーボール部(ポジション:センター) |
特記事項 | 365日通学、甲子園応援中もアルプススタンドで勉強 |
浪人 | 大阪大学医学部保健学科看護学専攻を目指して浪人生活、模試の成績が悪く乃木坂46のオーディションに応募し合格 |
大学受験 | 筑波大学医学群看護学科(受験日は東日本大震災の影響で中止、合否不明だが合格の噂あり) |
芸能活動 | 2011年、浪人中に乃木坂46第1期生オーディションに合格 |